りんごの木薬局のブログです。薬局の日々の出来事から健康・薬にまつわる事。更にスタッフの日常などを定期的に更新しております。
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今日は午後、在宅療養しているお宅にお薬をお届けしに伺いました。毎週木曜日は在宅訪問の日ですが、その間にも出かける事がよくあります。今日の患者様は
5年ほどになります。詩吟が上手で、この頃は出かけたたびに1曲歌っていただきます。聴いていると壮大な風景が浮かぶようで楽しみです。前回は真室川音頭を歌いたいという事で歌い始まりましたが、途中で忘れたらしくそこで私も一緒に歌いました。なんせ栗原郡一迫町出身ですから、民謡は大人たちの酒席で手拍子で歌うのを聴いて育ちましたので途中までは歌えます。「わたしゃ、真室川の梅のぉ花ぁあコオオリャ、あなた、まぁあた、この町ぃいの鶯よぉ」手拍子も入ります。在宅は毎回楽しみです。薬局にいる機会が少ないと「なんだい、久しぶりだねえ」とよく声をかけてもらいます。薬局にいる事が多いようにしたいといつも思いますが、泣いたり笑ったり、永遠の別れにもっとできる事があったんじゃないかと悔やんだりと、在宅訪問はまさに人生を生きてる実感があり、薬剤師でよかったと思う瞬間でもあります。
5年ほどになります。詩吟が上手で、この頃は出かけたたびに1曲歌っていただきます。聴いていると壮大な風景が浮かぶようで楽しみです。前回は真室川音頭を歌いたいという事で歌い始まりましたが、途中で忘れたらしくそこで私も一緒に歌いました。なんせ栗原郡一迫町出身ですから、民謡は大人たちの酒席で手拍子で歌うのを聴いて育ちましたので途中までは歌えます。「わたしゃ、真室川の梅のぉ花ぁあコオオリャ、あなた、まぁあた、この町ぃいの鶯よぉ」手拍子も入ります。在宅は毎回楽しみです。薬局にいる機会が少ないと「なんだい、久しぶりだねえ」とよく声をかけてもらいます。薬局にいる事が多いようにしたいといつも思いますが、泣いたり笑ったり、永遠の別れにもっとできる事があったんじゃないかと悔やんだりと、在宅訪問はまさに人生を生きてる実感があり、薬剤師でよかったと思う瞬間でもあります。
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6月25日からニューヨークに出かけてきました。初夏で暑くホテルの中は冷房が強くニューヨークはやっぱり秋がいいかもと思いました。ユニオンスクエアーとチェルシーのマーケットは野菜やパン、果物がありますがさすがに、東南アジアの市場と違い来ている人がハイカラで雰囲気がまた違い素敵でした。どこの国に行っても市場は必ず行きます。地下鉄に乗ったとき、東南アジア系の男の子がサッと席を譲ってくれました。私もついに席を譲られるようになったんだと感心しながら、座りました。日本では格差社会といいますが、アメリカの金持ちとそうでない人の差は日本の比ではないといつも思います。アメリカンドリームは差があるからこそがんばる訳で、大金持ちは居て欲しいし、そうでない人もいる意味があるし、自分としては、ある日はお金があるなぁと思い、ある日は貧乏だなぁと思い、よろこんだり焦ったり、がんばったり、怠けたりで丁度いいかなーと感じました
私の出身地は元栗原郡一迫町真坂です。今回の震源地は春は新緑、秋は紅葉と素晴しい景色の栗駒山の山麓で、ニュースで映される場所は思い当たる辺りで、心から悲しくそして心配に思います。思い起こすと昭和35年のチリ地震津波は志津川に知り合いも居るので、津波の恐ろしさを大人たちの話しから想像して、それから30年以上もの後まで夢を見るほどでした。昭和37年の宮城県北部地震は運動会の日で、校庭が波のようにうねり、テントがつぶれ、佐藤幸一先生がマイクで校舎に近づかないように叫んだようですが、アリの子を散らすように生徒たちは右往左往したことや、地割れを見ながら子供なりの考えで怖がった事を思い出します。その後新潟地震や十勝沖地震などを怖がり、昭和53年の宮城県沖地震では、娘が1歳半でしたがおんぶしながらウロウロしてしまいました。地震のたびに家の中を走り回り、怖がってしまいます。日常は怖いものなど無いほど強いイメージあるのに、地震の度にウロウロして焦り怖がる様子は、周りの人達には滑稽に映るらしく、喜ばれてしまうのはしょうがないなぁと自分ながら情け無いと思います。地震が続く限り、走り廻り焦りまくる様子をチャームポイントと考えることにしようかなーとこのごろ思っています。
昨日は妹と甥、我が家の娘と食事に出かけました。我が家は血液型がB型の父親グループとAB型の母親グループに分けられます。AB型の母親はほかの方には、自分を主張しない静かな印象があるようですが、家族の中での印象とはかけ離れています。3年ほど前に妹の家に泊まりに行った時に甥に「お葬式用の写真を撮っておきたいから写真撮って」と頼んだそうです。そこで、いいよと写真を撮ったら、母は甥がパソコンに詳しいことを知っていて「パソコンで修正できるんでしょ、」と言いできた写真を見ながら「目の周りのしわを全部とって、顔中のシミも、これもこれも、取って」と言い出来上がった写真を確認して「これにしてよ!ほかの写真でなくて」といったそうです。まったく静かな老人風にしてますが、毎日の言動ははっきりしていて、都合によって、弱まった風に声のトーンを下げて「年取るのも大変だわぁー、固定資産税払ってくれる?だっていつかはあんたのものでしょー?」とか、「後期高齢者になって、国保になるんだって」とこれまで社保家族だったので「わかった私が払えばいいんだね」とあきらめました。B型はこのごろ本屋でも話題になってますが、AB型の裏表の話題のほうが面白いと思います。人間見た目では計り知れないのでよく観察しましょう。