りんごの木薬局のブログです。薬局の日々の出来事から健康・薬にまつわる事。更にスタッフの日常などを定期的に更新しております。
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私の出身地は元栗原郡一迫町真坂です。今回の震源地は春は新緑、秋は紅葉と素晴しい景色の栗駒山の山麓で、ニュースで映される場所は思い当たる辺りで、心から悲しくそして心配に思います。思い起こすと昭和35年のチリ地震津波は志津川に知り合いも居るので、津波の恐ろしさを大人たちの話しから想像して、それから30年以上もの後まで夢を見るほどでした。昭和37年の宮城県北部地震は運動会の日で、校庭が波のようにうねり、テントがつぶれ、佐藤幸一先生がマイクで校舎に近づかないように叫んだようですが、アリの子を散らすように生徒たちは右往左往したことや、地割れを見ながら子供なりの考えで怖がった事を思い出します。その後新潟地震や十勝沖地震などを怖がり、昭和53年の宮城県沖地震では、娘が1歳半でしたがおんぶしながらウロウロしてしまいました。地震のたびに家の中を走り回り、怖がってしまいます。日常は怖いものなど無いほど強いイメージあるのに、地震の度にウロウロして焦り怖がる様子は、周りの人達には滑稽に映るらしく、喜ばれてしまうのはしょうがないなぁと自分ながら情け無いと思います。地震が続く限り、走り廻り焦りまくる様子をチャームポイントと考えることにしようかなーとこのごろ思っています。
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